京都・久美浜の円頓寺

Pocket

京都府京丹後市久美浜町の円頓寺地区にある円頓寺です。
お寺の名前がそのまま地区になる事は、それだけ、大きなお寺であることが、伺えます。


仁王門

仁王門
正確な名前は大治山円頓寺と言い、丹後地域に伝わる麻呂子親王(金丸親王)の七仏薬師承の伝わるお寺です。麻呂子親王は聖徳太子の弟にあたる人物です。伝説によると、この麻呂子親王は、丹後の三上ヶ嶽(今の大江山)に棲んで、人々を苦しめていた鬼たちを、薬師如来の加護を得て退治しました。そしてその恩に報いるために七駆の薬師如来を彫刻し、丹後の七カ寺に分置したといわれています。そのうちの一つであると言う言い伝えの残る、久美浜町円頓寺の薬師如来像は、平安時代の作といわれ、国の重要文化財にも指定されています。円頓寺の参道入り口に立つ山門は、享保7年(1722年)に建築された、木造単層入母屋つくりと呼ばれる形式の建物です。門の両脇には、鎌倉時代の作と言われる、金剛力士像が安置されています。この山門は、円頓寺本堂からかなり離れたところにあり、円頓寺がかつて広大な寺域、伽藍で成っていたであろうことが想像されます。現存する円頓寺本堂と山門は、平成3年7月に久美浜町指定文化財となりました。
(京丹後市歴史資料より)

円頓寺本堂

円頓寺本堂
仁王門を奥に進むと本堂があり、その中に、木造薬師如来坐像及び両脇侍像が安置されています。

木造薬師如来坐像及び両脇侍像

円頓寺 木造薬師如来坐像及び両脇侍像
平安時代 の作、重要文化財
円頓寺の縁起は、「文亀辛酉秋八月初吉勧進沙門敬白」の奥書を有する『円頓寺惣門修造勧進状』一巻によって知ることができる。この『勧進状』は外題僉(後補)に「行能筆」とあるが、これは時代的に相違があり全くの誤りで、実は『実隆公記』文亀元年(1501)8 月19 日条に「丹後国熊野郡佐野郷大治山圓頓寺惣門修造勧進帳依真光院所望染筆了」とあるものにあたると思われる。三条西実隆(1455?1537)は能書家として知られ、縁起や勧進帳を多く書しており、この勧進帳もその書風がよくあらわれている。これによると、円頓寺は、国土を荒らす鬼類を退治した用明天皇の皇子が薬師如来を安置したことに始まるという。これはいうまでもなく丹後に広く分布する七仏薬師伝説であるが、親王を「なにがしの皇子」として麻呂子親王の名を出さないこと、七ヶ寺への分置を言わないことなどより古い形をもっていることが注目される。ところで、この薬師三尊像は、右手を挙げ左手を膝上に置いて薬壷こを執り蓮華座上に結趺
坐ざする薬師如来坐像を中心に、外側の手を挙げて日月憧を持し、腰をややひねって立つ日光、月光両菩薩立像を配す三尊構成になる。像高は、中尊84.5cm、日光菩薩立像137.0cm、月光菩薩立像139.4cm で、各寄木造、漆箔の像である。造形的には、定朝様の典型的なもので、穏やかで優美な作風に特色があり、特に脇侍の宝髻から天台、髪際の彫り口には洗練された美しさがある。けれども、中尊の体躯のモデリングには形式化が見られ、脇侍の条、天衣の衣文の彫法には神経質な感があり、製作は平安時代の末期と考えられる。
(『丹後の錦』より)

藤の花 花

本堂の敷地はあまり広くはないですが、周りに夏の花が咲いています。

サルスベリ

仁王門の脇に、咲くサルスベリの花が訪れる人を迎えてくれました。

blogランキング
宜しければクリックして下さい

京丹後・久美浜の宿、堅木屋もご覧下さい
丹後にはええもん、うまいもんがいっぱい。
あじわいのある古民家宿をはじめ、牧場バーベキュースポット、
19世紀の味の店ボート免許が取れる場所など盛りだくさん。
鯛めし京野菜などのごはんも充実。手摘みのブルーベリーも要チェックです。
開運印鑑琉球畳筆文字制作のご相談もお気軽にどうぞ。
堅木屋のお土産鯛の五目めし
京丹後・久美浜、堅木屋の仕出し料理もご覧下さい

カテゴリー: 建物, , 風景写真 パーマリンク

京都・久美浜の円頓寺 への2件のフィードバック

  1. あい のコメント:

    こんばんは。
    すみません、歴史の話は苦手なもので、難しいです。
    最後のサルスベリの花が見事に美しいです。
    花は好きなもので。(^_^)

  2. katagiya のコメント:

    あいさん
    安易に、他の方の文章を使ってしまいました。反省しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です