山陰線、余部鉄橋 コメントを残す 1980年ころの山陰線餘部鉄橋は柵もなく、きれいな姿を見せていました。 山陰線の餘部鉄橋を渡る。急行但馬号はキハ58・28系、クリーン車のキロ28系を連結した懐かしい列車です。 DD51にけん引された下り普通列車が通過しました。 餘部鉄橋をくぐって漁港から撮影したDD51けん引の普通列車です。10系、オハ35系、スハ43系などが連結されていました。
宮津線 キハ58系桃畑を走行 コメントを残す 1989年4月10日 モモの花が咲く、JR宮津線の丹後神野付近と丹後木津付近で撮影しました。現在は桃の花も少なくなり、様子は変わっています。現在は京都丹後鉄道が運行しています 甲山-丹後神野で撮影(現在は、かぶと山-小天橋) 丹後木津-網野で撮影(現在は夕陽が浦木津温泉-網野)
国鉄 宮津線 気動車 コメントを残す 1988年4月7日にJR宮津線から北近畿タンゴ鉄道(丹後鉄道)に移行する前に撮影した、京丹後市内を走行する気動車です。 京都北部と京都市を結ぶ、急行丹後2号を丹後木津-網野間で撮影しました。 宮津線の普通列車に使用されたいた、西舞鶴行きキハ58系を、丹後神野-甲山間で撮影しました。 早朝に桃畑の中を走るキハ47系を、丹後神野-甲山間で撮影しました。 網野-峰山間を走るキハ58系の西舞鶴行き普通列車
七尾線 SLときめき号 コメントを残す 1988年2月13日に七尾線を走る、C56160牽引のSLときめき号を撮影しました。豊岡駅を19:32出発し京都駅から立山号で金沢駅まで乗りました。移動にはレンタカーを使い、金沢を夕方17:00に出発し京都駅経由で豊岡まで帰りました。午前中は天候が良かったですが、午後からは曇り空になり撮影には不向きでしたが、雪が降らなかっただけでも、幸運でした。 七尾線の免田-宝達を走る、C56160牽引のSLときめき号 七尾線 金丸-千路を走る、C56160牽引のSLときめき号 七尾線の南羽咋-敷浪を走る C56160牽引のSLときめき号 七尾線 金丸-千路を走る、58系気動車の普通列車
山陰線の余部鉄橋1984年 コメントを残す 1984年7月31日に山陰線の余部鉄橋を通過する列車を撮影しました。 新大阪発博多行き82系特急まつかぜは、グリー車と食堂車を連結し10両編成で余部鉄橋を通過しました。 14系寝台特急出雲3号、この頃は出雲のヘッドメークは、掲げられず少し寂しいものでした。 大阪発米子行き、急行だいせんが、余部鉄橋を通過しました。 DD511109が牽引の545ㇾは5両編成の旧型客車の普通列車
小浜線 SL越前若狭号 コメントを残す 1989年4月2日に小浜線を走った、SL越前若狭号を撮影しました。 十村駅から大鳥羽駅へ向かう、越前若狭号です。C56160が12系車両を牽引して築堤を進みました。 桜が満開の十村駅を通過する、C56160牽引の越前若狭号 小浜線の十村-大鳥羽間の築堤を俯瞰できる山の斜面から、国鉄色の58系気動車を、越前若狭号の撮影の合間に撮影しました。 58系気動車をブルーに塗装し、白色の斜めのラインを入れた普通列車が、田植え前の土手焼を済ませた、小浜線の築堤を走りました。 小浜線の敦賀行き、58系気動車二両が十村駅にやってきました、駅員さんと母親に手を引かれた二人の子供が到着を待っていました。
予讃線 海岸寺-詫間 コメントを残す 1978年6月8日に宇高連絡船に乗って四国に出かけました。カメラはニコマートFTNニコール50mmレンズで撮影 海岸寺-詫間DF5051牽引の4652ㇾ貨物列車 海岸寺-詫間 DF50572牽引の123ㇾ普通列車、最後尾にもDF50を連結しています。 キハ58系 603D急行宇和島 後追い撮影 DF50牽引の普通列車 DF50牽引の普通列車
紀勢線 撮影旅行 見老津駅 コメントを残す 1979年3月28日、周参見で1泊する8:44の列車で見老津に向かう。当時は駅員さんがいて、休憩しているとコーヒーをご馳走して頂いた上に、テレビまで見せて頂きました。今なら想像もつかないことです。撮影の後再び周参見で一泊する。 394ㇾ EF15貨物列車 124ㇾ EF58普通列車 123ㇾ EF58普通列車 1391ㇾ EF15貨物列車 390ㇾ EF15貨物列車
紀勢線 撮影旅行 那智-宇久井 コメントを残す 紀勢線撮影旅行2日目、3月27日も快晴、那智のユースホステルで一泊し、みかん畑の上から撮影しました。その後紀伊田原に向かいました。 東京発紀伊勝浦行、寝台特急紀伊の新宮駅までの回送列車 203D急行きのくに 3M、381系特急くろしお
山陰線・餘部鉄橋1 コメントを残す 初めて餘部鉄橋を訪れたのは1975年6月8日で、50ccのオートバイで自宅から2時間くらいかけて、行きました。写真の橋梁は1909年12月16日着工、1912年、1月13日に完成し、同年3月1日に開通した。全長310.59 m、下を流れる長谷川の河床からレール面までの高さ 41.45 m の鋼製トレッスル橋です。 1975年6月8日、余部鉄橋を渡るDD54牽引の835ㇾ普通列車 DF50に変わって、DD54がけん引する普通列車を撮影しました、現在と比べると、鉄橋も新しくなり、鉄橋下の風景も随分変わりました。 下りの急行但馬1号です。ゴミ落下の防止柵もなくすっきりとした鉄橋でした。 1975年6月8日、山陰線餘部鉄橋を渡る806D、58系急行白兎 現在では見ることができない、長編成の気動車急行です。道路事情が悪かったころは、鉄道が唯一の長距離移動の手段でした。